小档案
つんく♂ - ボーカル、作詞、作曲、元リーダー
たいせい - キーボード、作曲
はたけ - ギター、ベース、作曲、リーダー
まこと - ドラムス、作詞
しゅう - ベース、作曲(1998年脱退)
小简介
シャ乱Q(シャらんキュー)は、大阪出身のバンド。所属事務所はアップフロントエージェンシーの所属事務所の関連会社「アップフロントワークス(zetima)」。なお、活動休止前までの所属は「BMG JAPAN(旧BMGビクター)」だった。
“シャ乱Q”于88年成立。1988年12月,在大阪活动的3个业余爱好者乐队“シャッターズ”(快门),“乱”,“QP”成员聚集,将3个乐队合并为“シャ乱Q”(其实就是3个乐队名字词头组合^^),由主音TSUNKU、吉他手HATAKE、键盘手TAISE、鼓手MAKOTO所组成。1992年7月,他们以“18 ヶ月”初次登场。1994年10月,其第六单曲“シングルベッド”的旺销和相继作品的热卖确定了他们热门乐队的地位。1997年,他们公开主演电影“シャ乱Qの演歌の花道”。随后,作为“モーニング娘。”(早安女孩)等的制片者,成为流行圈内的中心存在。2002年12月1日作为乐队中止了活动,预定于21世纪复活。
大事件
1988年12月結成。「シャ乱Q」の名前は、メンバーが所属していたアマチュアバンドの名前「シャッターズ」(しゅう、まことが所属)「RAM(乱)」(つんく、しゅう、たいせーが所属)「QP(キューピー)」(はたけが所属)を寄せ集めたもの。当初は「シャ乱P」というネーミングにする予定だったが、当時活躍していた女性お笑いコンビ おきゃんぴーを連想させる、として最終的に「シャ乱Q」となった。
1990年、関西のアマチュアバンドとともに「すっぽんファミリー」を結成し、大阪城公園にてストリートライブを始めた。かつて東京 原宿に存在した歩行者天国「ホコ天」に対抗し、通称「城天(しろてん)」という。
1991年にNHK「BSヤングバトル」第2回グランプリを受賞した(受賞曲:「ラーメン大好き小池さんの唄」)ことが契機となり、1992年にメジャーデビュー。このとき所属事務所を巡って多くの芸能事務所が争奪戦を繰り広げたが、最終的にアップフロントエージェンシーが選ばれた。後につんくが語ったところによると、この選択の際には「KAN(1991年の第33回日本レコード大賞受賞者)が所属している」ことが決め手となったという。
デビュー後長らく低迷期が続いたが、1994年に発売した「上京物語」がスマッシュヒット。同年の「シングルベッド」、1995年の「ズルい女」、1996年の「いいわけ」などがミリオンセールスを記録する。1996年発売の「涙の影」で、最初で最後のオリコン週間1位を獲得。
ライブや音楽番組では、楽曲や容姿からの一般的なイメージとは異なる軽妙なトークも受けた。「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」では、つんくが「浜田雅功に頭をどつかれると売れる法則」を提唱した。1995年から3年連続紅白歌合戦に出場。後にブレイクしたウルフルズらとともに、関西発のバンドの第一人者となった。
ただ関西出身ではあるものの地元のABCラジオ、OBCの番組では「シングルベッド」以前の楽曲は一切オンエアされなかった。これはつんくが「MBSヤングタウン」でパーソナリティーを務めていたためで、またMBSラジオでパーソナリティーをやっているアーティストの楽曲はABC、OBCでは排除されるという暗黙の了承があったためである。
派手な衣装が話題となっていたところ、1996年10月に、ステージ衣装を盗まれた。被害総額は約2500万円。
1997年には、メンバーのしゅう、たいせー、まことによるユニット「スーパー!?テンションズ」の結成、主演映画「シャ乱Qの演歌の花道」の公開。1998年は、オーディション番組ASAYANにてプロデュース活動を開始した。はたけは平家みちよ、つんくはモーニング娘。を担当するなど活動も順調だったが、1998年12月、しゅうが未成年女性への暴行事件を起こし脱退。それに伴い、1年間活動を自粛した。
1999年の活動休止期間中、メンバーは主にソロ活動を行った。つんくはソロ歌手TSUNKUとして活動。はたけはHOUND DOGの鮫島秀樹らとともにRose of Roseを結成。たいせーとまことは、ボーカルに大西さちこを迎え、east cloudを結成。
2000年3月、「ラーメン大好き小池さんの唄」のリメークである「新ラーメン大好き小池さんの唄」をリリースし活動再開。8月にはライブも開催した。しかし、アルバム制作中に音楽の方向性に違いが生じ、12月、NHKの音楽番組に生出演し「休憩」と称し活動無期限休止を発表した。それ以来、活動再開後を含んでTVガイドタレント名鑑は少年隊同様、グループとしてではなく、個々で表記している。
2001年から2004年にかけ、つんくはハロー!プロジェクトのプロデュース活動や、The つんくビ♂トを結成したり、カバー曲を中心としたソロ活動を展開した。はたけはギタリストおよび音楽会社の社長として活動し、まことはハロプロのコンサートの司会、たいせーはタレントとして、それぞれソロ活動を行った。
2005年12月、つんく主催のクリスマスディナーショーにて、つんくから「秋頃に再始動」と活動再開が発表された。事務所の先輩である堀内孝雄から促され、メンバーや関係者との話合いで決意したという。
2006年4月、エプソン品川アクアスタジアムにて行われたイルカショーにて、同施設の1周年のお祝いにメンバー全員が集結した。記者会見を開き、シャ乱Qの活動再開の発表に加えて、たいせーが『たいせい』に改名することを発表し、他のメンバーを驚かせた。同月放送の「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」にて、活動休止後初のテレビ出演を果たした。9月には「めちゃイケ」にて、ネットでブレイクした養老の星☆幸ちゃんと共演した。10月には約6年ぶりとなるライブを敢行し、11月にはモーニング娘のカバー曲であるが活動再開後初となるシングルを発表。12月にはディナーショーを行った。
2007年は、テレビ番組に何本か出演した以外は、12月にクリスマスディナーショーを行い、第49回日本レコード大賞で『ズルい女』をパフォーマンスしたのみであった。
2008年は、8月にディナーショーを開催。同年12月、DVDつきベストアルバムを発表し、日本武道館にて約5時間にもおよぶ「シャ乱Q結成20周年記念フェスティバル」を開催した。KAN、黒澤健一、森高千里、五木ひろし、ハロプロなどつんくやシャ乱Qゆかりのゲスト総勢25組59人が応援に駆けつけ、ライブをもりあげた。また、音源化未定の新曲「愛するということ」を発表した。
2009年3月、公式ファンクラブ「CLUB QUE」は、つんく独自のファンクラブ「天然音泉」の立ち上げに伴い、終了することとなった。ただし、シャ乱Qの活動は今後も継続していく予定であり、広報は「天然温泉」を通じて行っていくという。