HIRO(ヒロ、本名:五十嵐広行(いがらし ひろゆき)、神奈川県横浜市(生まれは広島)、1969年6月1日 - 血液型:AB、身長174cm、体重63kg)
パフォーマー兼リーダーで、所属事務所LDHの社長。所属アーティストのマネジメントからダンススクール、アパレルブランドの運営まで、ビジネスの舵取りを担う。
元ZOOのメンバー。15歳にしてディスコに足を踏み入れ、そこで初めて見た黒人のダンスに魅せられ、ダンスの道へと導かれることとなる。横浜市立金沢高等学校出身。現AVEX社長の松浦勝人は高校の先輩にあたり、松浦が当時、店長をしていた貸しレコード屋にHIROが足を運んではレコードを借り、高校の文化祭の時にDJを頼んでやってもらっていたという。高校卒業後、1989年にテレビ番組「DADA」のダンスコンテストでLMDに参加した。結果、HIROは準優勝を飾りそのコンテストを観ていたスカウトに声を掛けられ、1990年にLMD改めZOOとしてシングル「Careless Dance」でデビュー。ZOOは一気にスターダムへと駆け上がった。しかし解散後の1996年に女性ボーカルとHIROを含めた二人のダンサーからなるユニット、「LUV DELUXE」を結成するも間もなく解散。1995、6年にはDREAMS COME TRUEのコンサートツアーにバックダンサーとして参加していた。また、ニューエディションのベル?ビヴ?デヴォーやボビーブラウンにダンスを認められ踊った事もある。吉田美和の「お客さんは自分のお金でライブに来てくれるのだから心を込めて一生懸命やろう」という言葉がHIROに自身の慢心を悟らせるキッカケになったという。そこで自身が変わっていく決心を固めたという。そんな中で現パフォーマーたちと出会い、貧乏でも一生懸命ダンスに打ち込み、自分に付いて来てくれる彼らのためにも今の状況を変えたいと思い、「もう一度ダンスで勝負がしたい」と頭を下げ、何度も頼み込んだ結果、J Soul Brothersとしてデビューするチャンスを松浦勝人から与えられ、アルバイトとして、AVEXからデビューする前の卵たちのレッスンも任された。HIRO自身、「松浦さんは人生の恩人。松浦さんがいなかったらJSBもEXILEもなかった」と話している。
会社を設立するに至って、「ZOOの時にはいくつもの可能性があった。でも俺はそれを活かすことすらできなかった。本当に惨めで悔しい思いもしたし、自分自身の力でもう一度武道館に立ちたい。Your eyes onlyでEXILEとして、初めてテレビに出た時、テレビの出演がこんなに嬉しいことだと思ったのは初めてだった。今こそ自分たちの夢を一つ一つ叶えていくチャンスが来た。今こそ会社を作ろう」と決心し、メンバー6人で50万ずつを出資し、青山のビルの地下に有限会社エグザイルエンターテイメントを設立。HIROに会社を作るよう提言したのも松浦である。