小档案
ジェロ(JERO、本名: Jerome Charles White, Jr.(ジェローム?チャールズ?ホワイト?ジュニア)、1981年9月4日 - )は、アメリカ合衆国?ペンシルバニア州ピッツバーグ出身の日本の演歌歌手。
『史上初の黒人演歌歌手』として多数のメディアに取り上げられた。
小简介
1981年アフリカ系アメリカ人の両親のもとに生まれ、1990年頃からペンシルバニア州のピッツバーグで育つ[5]。母方の祖母は日本人で、その影響から幼少の頃より演歌に親しんできた[4]。その祖母に対して演歌を披露するうちに、自らが演歌の虜になっていったという[6]。
特定非営利活動法人エデュケーション?ガーディアンシップ?グループ主催の第3回高校生による日本語スピーチコンテスト(Japanese Speech Award, JSA)に参加するために15歳になって初めて日本の地を踏む[4]。スピーチタイトルは「ぼくのおばあちゃん」[7]。ダンスチームの主将を務めた高校時代を経て[8]、やがてピッツバーグ大学に進学し情報科学を専攻。在学中には関西外国語大学に3ヶ月間の留学をした。この留学期間中に演歌歌手になることを決意したという。[4][6]
ピッツバーグ大学を2003年に卒業したのちに再び日本の地を踏み、和歌山県で英会話学校の教職、次いで大阪でコンピュータ技術者の仕事に就く。その傍ら、『NHKのど自慢』(NHK)など日本各地のカラオケ大会に自ら応募したうえで出場し[9]、そこで数多の賞を獲得するなど、演歌歌手を目指して独自に活動を続けた。そして2005年、坂本冬美の主催によるカラオケ大会で優勝した際、ビクターエンタテインメント大阪のスカウトの目に留まり、オーディションを渋谷のカラオケボックスで受けて合格。審査員は「礼儀正しく、何をリクエストしてもきれいに歌う」と評価している。
その後2年間に及ぶ訓練を経て、2008年にシングルの「海雪」でプロデビュー[1][4][6]。デビュー日となった2月20日には、演歌歌手としては前例の無い渋谷HMVでのイベントを行い、デビュー曲の「海雪」を披露して会場を沸かせた。[10] 2008年6月25日には初のミニアルバムを発売。8月27日(日本時間28日)には母校ピッツバーグ大学で無料凱旋ライブを行い、学生や地元住民など500人以上の聴衆がつめかけた。[11][12][13]
2008年10月19日に歌手としては初めて『NHKのど自慢』に出演した。
演歌歌手という立場でありながらヒップホップ系ファッションを採り[1]、その外観はラッパーに似ている。[14]プロモーションビデオもラップのバックダンサーを用いるなど、一見しただけでは演歌のそれとは分からないものとなっており、MUSIC ON! TVなど一部のCS局では演歌扱いされていない。
その容姿については『ウィル?スミス似のイケメン』[1]などと表現され、その歌声については『一聴では日本人のそれとしか思えない』[15]、『甘い歌声』[4]などの評価が寄せられている。
デビュー曲となった『海雪』は、新潟県の出雲崎町を舞台とした楽曲で[16]、発売当日だけでカセットとあわせて8万3千枚を出荷し[10]、オリコンのデイリーチャートにおいて初登場16位を記録[10]。更に、冷え込みの著しいシングル市場にあって、その発売から5日間のうちに3万5千枚の売り上げを記録し、グループからのソロデビューを除く演歌/歌謡系歌手のソロデビュー曲としては史上初のオリコン総合シングルランキング初登場10位入り(第4位)を獲得するなど、『突然の金字塔』と言われるほどに数多の記録を更新している。[17]
ヒップホップダンスも特技としており、『海雪』のダンスバージョンの振り付けはジェロ本人が行った。[18] 敬愛するヒップホップ?アーティストは2パック[19]。
好きな日本語は「一期一会」と「ちんぷんかんぷん」、好きなアーティストは坂本冬美、好きな食べ物はホッケ[20]。納豆も好き。わさびととろろは苦手だという[21]。日本食は作れないが、無洗米を自炊している[22]。理想のタイプの女性は女優の釈由美子[23]、タレントでミス?ユニバース2006年世界大会2位の知花くらら[24]であると語っている。
「海雪」のプロモーションビデオに出演しているバックダンサーは、本人のブログによるとノリ&ナオであるという。