私立暁星小学校、私立武蔵中学校・高等学校卒。高校時代より歌手として活動していた。1960年にエルヴィス・プレスリーの日本語カバー『本命はお前だ』でロカビリー歌手として本名でデビュー、雰囲気がプレスリーに似ていたことから和製プレスリーと呼ばれていた。歌手業と並行して俳優としても活躍し、松竹ヌーヴェルヴァーグ路線で映画に数多く出演していたが、ヌーヴェルヴァーグ路線が終わりロカビリーブームも去ると、芸能人として不遇の時代を迎える。この不遇の時期に、島田歌穂の父から指導を受け歌唱を基礎から地道に勉強し直したことが、後の飛躍へと繋がった。
1972年に声優として、タツノコプロ製作のアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』にコンドルのジョー役でレギュラー出演。ガッチャマンの打ち上げの宴席での余興のカラオケで主題歌を唄いこなしたことが評判になり、翌年『新造人間キャシャーン』の主題歌担当に抜擢され、ささきいさおの芸名でアニソン歌手としてデビューし、1965年以来約8年ぶりとなる新曲を発表[1]。以降、数々のアニメ・特撮作品の主題歌を歌い、『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』の主題歌が一世を風靡し、ミリオンセラーを記録。大杉久美子や水木一郎、堀江美都子らと共に、アニメソングの黎明期を支えた。
その後も歌手業だけではなく、舞台俳優として新劇やミュージカルへの出演を重ね、この他に声優やナレーター、洋画の吹き替えなど多彩な活躍を見せている。
アニソン歌手としてデビューして以後、俳優として活動する時やアニメ・特撮と無関係なオリジナル曲を歌う時は「佐々木功」、アニメ声優やアニソン歌手として活動する時は「ささきいさお」と二つの芸名を使用していたが、1987年の『超人機メタルダー』の主題歌以後は、ヒーローものの主題歌を歌うときも「佐々木功」の名前を用いるようになった。しかし1990年代後半には再び「ささきいさお」の表記も使われるようになり、2003年頃からは俳優業等における芸名も「ささきいさお」に一本化している。
2011年、第5回声優アワード功労賞を受賞[2]。