五木 ひろし(いつき ひろし、本名:松山 数夫〈まつやま かずお〉、1948年3月14日- ) は、日本の歌手。作曲家、俳優でもある。血液型はA型。2007年、紫綬褒章を受章した。福井県三方郡美浜町出身。所属事務所はアップフロントエージェンシー。
小简介
美空ひばりに大変可愛がられ、その美空ひばりにして「五木ひろしが男で(“男に生まれてきて”という意)よかった!」と言わしめるほどに五木の歌唱力と人気を高く評価していたエピソードはよく知られている。
コブシ(小節)とヴィブラート、ノン?ヴィブラート、そして地声とファルセット(裏声)を巧みに使い分け、精密機械のごとく声を震わせる独特で屈指の歌唱技術を持つ。
演歌のみに留まらず、歌謡曲、バラード、R&B、ポップス、フォーク、ニューミュージック、クラシカル、ジャズ、シャンソン、カンツォーネ、ロック、ラテン、民謡、童謡などあらゆるジャンルの作品を歌いこなしてきた。
艶歌など新しい分野を生み出し、演歌の領域を拡げた。
とりわけ、女ごころや叙情をテーマにした曲に定評がある。
今日まで滞ることなくコンスタントにオリジナル?ヒットを生み出し続けてきた。還暦を迎えているが、改名前の不遇時代を除き、極端にスランプと思われる時期は見当たらない。
2008年3月13日(還暦を迎える前日)、五木は思い出深い曲として自身の年代毎に、20代では「夜空」、30代では「おまえとふたり」、40代では「暖簾」、50代では「ふりむけば日本海」を挙げた。
古賀メロディーをはじめ、歌い継がれてきた数々の名曲を《次代に受け継ぐ》という大きな使命も担い、それを果たしてきた。
海外公演やオーケストラとの共演など新しい試みにも果敢に挑戦、《後進への指標》ともなるべく率先垂範をしてきた。
ショーやリサイタル、コンサート等の公演チケット価格(クリスマス?ディナーショー2008年実績:¥50,000.-)は例年、最高峰を誇る。
ギターや太鼓の他、多くの種類の楽器を演奏し、一級の腕前を披露している。
下積み時代(1950年代)、松方弘樹と席を並べて歌を学んでいたが、五木の歌声を聞いているうちに自信を無くした松方がやがて歌手になることを諦めて、1960年に東映から映画俳優としてデビューに至ったというエピソードを持つ。