1981年『ピンクの心』でデビュー。その後「ポータブル・ロック」を経て、80年代ニューウェイヴシーンを代表する存在に。90年代に「ピチカート・ファイヴ」に加入、渋谷系文化のアイコンとして、日本及び海外の熱狂的な人気を集めた。現在、独創的な存在感と歌声で、音楽に加え、カルチャーやアート、ファッションなど多方面で活躍中。そのエッセンスを凝縮したシアトリカルなライブパフォーマンスが近年の白眉として、注目を集めている。 2011年にデビュー30周年を迎えるにあたり、2010年10月20日には、デビューアルバムがボーナストラックを加えて再発売された。
81年、ムーンライダーズの鈴木慶一プロデュースによる『ピンクの心』でデビュー。その後、ポータブル・ロックのヴォーカリストとして活躍。東京ニューウェイヴ・シーンの歌姫として愛される。
90年、ピチカート・ファイヴに3代目ヴォーカリストとして参加。
93年、「スウィート・ソウル・レビュー」、「東京は夜の七時」とヒットを飛ばす。また、94年からマタドール・レコードからアメリカ・デビュー。『MADE in USA』は世界で20万枚のセールスを記録する。同時期に高浪敬太郎が脱退し、“監督:小西/女優:野宮”的な創作スタイルへ。音楽性とファッション性の掛け算が加速する。結果、世界の情報過多な都市のセンスのよい人々から熱狂的な支持を受け、中でも野宮は「東洋のバービードール」、「歌うキティちゃん」として喝采を浴びた。
映画版『チャーリーズ・エンジェル』(00)で「トゥイギー・トゥイギー」が流れ、ミック・ジャガーもファンを公言する中、2001年、惜しまれながら解散する。
2枚目のソロ・アルバム『レディ・ミス・ワープ』(02)を皮切りに、“野宮真貴第2期黄金時代”へ突入。ディナーショー・スタイルの『ドレスコード』(04)、完全フロア対応の『PARTY PEOPLE』(05)と、毎回、趣向を凝らしたアルバムを発表。草野マサムネ、槙原敬之、クレイジーケンバンド、須永辰緒、菊地成孔、m-flo、FUTON(バンコク)……といった多種多様なアーティストたちとのコラボレーションにより、野宮の新たな魅力が花開いている。
また、『おしゃれ手帖』、『ドレスコードのすすめ ~おしゃれ手帖PART Ⅱ~』など、エッセイストとしてもファッション・ピープルならではの健筆をふるい、好評を博す。 2007年3月、イースト・プレスから最新エッセイ集「おしゃれに生きるヒント」を刊行。自身のホームページの名物コーナー「東京セックス・アンド・ザ・シティ」では、湯山玲子(クリエイティヴ・ディレクター)、篠崎真紀(イラストレーター)と、毎回、魅力的な女性ゲストを迎え、歯に衣を着せぬトークが爆笑を呼び、2008年2月、INFAS パブリケーションズより「エレガンス中毒ぎりぎりの女たち」というタイトルで単行本化が実現した。
女優としての活動は多くはないが、シティボーイズ ライブ『ウルトラシオシオハイミナール』(00)、信藤三雄監督作『男はソレを我慢できない』(05)などでファニーな印象を残す。
ナレーションは数多く手がけ、中でもBSフジ『HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説』(06)は、番組全体として日本民間放送連盟のテレビエンターテインメント番組部門で最優秀賞を受賞した。
ファッション・デイナーとしてはこれまでもその才能を小出しに発揮してきたが、2007年3月からMASSE MENSCHの高橋正明との新ブランドmasse mensch JOYを立ち上げる。
また、2009年5月、ユニクロ「UT」とのコラボレーションでTシャツをデザイン。「LOVE FAKE?」というテーマで展開。
2007年3月には、「野宮真貴リサイタルVol.1~JOY~」を敢行。これまでにない、シアトリカルな舞台を披露した。以降、年に一度の恒例舞台となる。
2008年4月、「野宮真貴リサイタルVol.2~エレガンス中毒~」を敢行。
続く2009年9月には、「野宮真貴リサイタルVol.3~Beautiful People~」を敢行。大好評を博した。
2009年10月20日、ブラジルのミュージシャン、フェルナンダ・タカイとのコラボレーションミニCD「MAKI-TAKI NO JETLAG」を大洋レコードよりリリース。