小档案
bloodthirsty butchers(ブラッドサースティーブッチャーズ)は、日本コロムビア所属のロックバンド。 通称"ブッチャーズ"。
メンバーは吉村秀樹(ボーカル、ギター)、射守矢雄(ベース)、小松正宏(ドラム)、田渕ひさ子(ギター)。
小简介
1987年、北海道 留萌工業高校の同級生である吉村秀樹と射守矢雄、留萌高校出身で1期下の佐野紀代己によりに結成。前身は畜生。1989年、佐野が脱退し、入れ替わる形で後輩の小松正宏が加入。2003年に田渕ひさ子(toddle元NUMBER GIRL)が加入し四人編成となる。
結成から札幌市を拠点にたびたび上京してライブ活動を行なっていたが、1991年11月のフガジ初来日での共演を機に東京に拠点を移す。
留萌高校の掟ポルシェ(ロマンポルシェ)、上原子友康(怒髪天)とは同時期に在学して、お互いに刺激し合ったという。
「サンカク」という曲は自分たち三人が互いに角を持ちながらバランスを取っていることから名づけられた[要出典]。 批評家や国内外においてミュージシャン人気が高く[1]、それを示すように随分早い時期にトリビュート盤がメジャー、インディーズからそれぞれ発売されている。海外のバンドから共演を求められたり、オープニングアクトを務めることも多い[要出典]。過去共演した海外アーティストとしてFugazi(3回の来日すべて)、ロケットフロムザクリプト、ベック、フレーミングリップス、レイジアゲインストザマシーン、Jマスシスがいる。フジロックフェスティバル等、フェスティバルへも毎年のように参加している常連である。
ギター、ボーカル、ベース、ドラムによって表現されるロックにこだわっておりオルタナティブに分類される。札幌時代からワシントンDCのフガジなど音楽的に多様化するUSハードコアと歩調を合わせた独自のサウンドを指向し、ビートパンク中心だった東京のパンクシーンとは一線を画していた。吉野寿(eastern youth)、増子直純(怒髪天)などこの時代の札幌でのブッチャーズの影響力についての証言も多い。谷口健(BEYONDS)は、パペッツを解散して音楽性を大きく変えたBEYONDSを結成したのはブッチャーズを観たのがきっかけだったと述べている。上京後には1993年と1994年にアメリカツアーを敢行、アメリカ北西部のインディーロックの中心の一つであるオリンピアYoYo レコード主催のインディーフェスYoYo a Go Goに二回(1994,1997)参加するなど、少年ナイフと並んでUSオルタナシーンとの交流の先例を作った。後に日本におけるいわゆるエモーショナルハードコアの先駆け的バンド[要出典]とされるようになる。 アルバムよりも爆音、轟音によって演奏されるライブに高い評価[要出典]があり、それが一般人気とコアなファンとで温度差がある要因のひとつとも言われている[要出典]。吉村の歌唱についても下手であるとも、エモーショナルで唯一無比な存在であるとも言われる[要出典]。 射守矢のベースは、くるりのメンバーに「オリジナリティの塊」と賞賛されたことがある。 向井秀徳(NUMBER GIRL、ZAZEN BOYS)は「私が大変昔から尊敬するバンド」としてあげている。 フガジのイアンマッケイから「グレイトなバンドだ」と評された。 會田茂一(EL-MALO, FOE他)は「音楽的に大変尊敬している」と述べている。